137.夢幻の 宇宙戦艦・・・『扶桑』 (フソウ) ー (2)
土方が思いをはせたのは人類がまだ地面に縛り付けられていた時代、戦闘用の航空機がやっと飛び始めた時代の
事だった。
今は西暦2191年だったから275年もの昔、1916年当時、大英帝国と帝制ドイツ帝国は対立し、北海の制海権を巡って
戦いを繰り広げていた。
当時、前に語った様にまだ航空機が未発達で海戦の主役は戦艦と巡洋戦艦(注・1) だった。
独・艦隊の総勢力、99隻、48,280t、に対し、英国側総戦力は151隻、84万4,450tとその戦力には約2倍近い開きが
あった。
これは当時、大英帝国はビクトリア朝時代で大英帝国が最も力があった時代であったため、 『二国標準法』 なる
とんでもない法律を実施する力があったためである。
来てもこれを排除出来る戦力を常備すると言う物。 これを実現出来た事に、当時の大英帝国の国力の凄さの一端を
見る事が出来る。)
弩級戦艦が生まれ、それまでの戦艦は一気に旧式化し、各国とも弩級艦の建艦ラシュを迎えるとこの『二国標準法』も
全ての国が同一スタートラインに立った事に成り、一度は”実質無効”の状態になったが、英国はそれを挽回、
弩級艦のみか、超弩級戦艦まで短期間で容易に建造し”面目”を保った。
そして、帝政ドイツは確かに世界第2位の海軍力を保有していたが、このような事情であまりに大きな戦力差に
キールやヴィルヘルムスハーフェンといった軍港の奥深く、息を潜めてその身を隠さざるを得なかった。
これは艦隊司令長官の愚策と言うより、艦隊運用にドイツ皇帝が直接、口を挿む悪習が主な要因だった。
そんな中、巡洋戦艦部隊だけは英国沿岸都市の攻撃の為に出撃を許可されていたが、暗号解読書を英国が入手した
事により出撃が露見し、その結果、ドッカーバンク海戦が起こった。
独・巡洋戦艦部隊は善戦したが、敗北、弩級装甲巡洋艦『ブリュッヒャー』を失い、旗艦・巡洋戦艦『ザイドリッツ』にも
大損害を被ってしまった。
この責任を取ってフリードリヒ・フォン・インゲノール大将が職を辞し、次任のフーゴー・フォン・ポール大将も病死すると
ついに第3戦隊司令官だったラインハルト・シェア中将が異例の中将のまま司令長官となった。
シェアは前任者達とは違い、まず、皇帝の艦隊運用への口出しを封じる事をやってのけた。
これによりドイツ海軍総司令官は自分の意思決定だけで艦隊運用出来る様になった。
そして彼は大英国大艦隊(グランド・フリート)を殲滅とは言わずとも大損害を与えてその勢力を自国艦隊のそれに
近づける事を考えた。
またあわよくば、英国沿岸に接近し沿岸の都市群に大量の弾雨を降らせる事をも目論んだ。
時に1916年5月30日、英国が独・艦隊の動向を海上、陸上から常に監視しているのは重々承知の上での堂々とした
出撃だった。
(最も、シェア総司令官は抜け目なく事前に17隻ものUボートを先行させ、偵察・警戒させる事は怠らなかったが。)
この海戦に参加した戦力は以下の通りである。
大英帝国の大艦隊(グランド・フリート)を指揮するジョン・ジェリコー大将配下の部隊は28隻の弩級戦艦を主力として
9隻の巡洋戦艦を遊撃部隊として運用していた。
対する帝制ドイツ帝国、大洋艦隊総司令、ラインハルト・シェア中将は16隻の弩級戦艦、5隻の巡洋戦艦と6隻の
旧式な前弩級戦艦を加えて戦力の不利を補おうとしたが大幅な劣勢は否めなかった。
戦闘の詳細は省くが、この二つの艦隊がぶつかった結果、
英国側の損害は沈没艦だけで弩級・超弩級巡洋戦艦3隻(火薬庫への引火による大爆発)、装甲巡洋艦3隻、駆逐艦8隻(合計排水量 113,300 t)に対し、
ドイツ側の損害は巡洋戦艦1隻(浸水による沈没)、前弩級戦艦1隻、軽巡洋艦4隻、魚雷艇5隻(合計排水量 62,300 t)
であった。
どちらにも弩級・超弩級戦艦の沈没はなかったが、巡洋戦艦は英国側は3隻も失い、それも火薬庫の大爆発と言う
『 爆沈 』という形の沈没を喫した。
(弩級巡洋戦艦 『 インディファティガブル 』 、超弩級巡洋戦艦 『 クイン・メリー 』、弩級巡洋戦艦 『 インヴィンシブル 』。)
彼我の戦力差を縮めるまでには至らなかった。
また、英国沿岸都市への砲撃も果たせなかった。
この事からこの海戦の勝者は戦術的にはシェア提督だが、戦略的にはジェリコー大将の勝利とされている。
しかし、この評価は戦争は兵器がするものでは無く、人間がするものであると言う当たり前の事を表していない。
ドイツの国力は英国に大きく劣り、世界第二位の海軍を整備するも、とても真正面からは立ち向えない戦力だった。
そして、ドイツには英国並みの国力は無かった、だが、全力を尽くす信念だけは本物だった。
だから、弱少な戦力を精神論だけで兵を奮い立たせるどこかの国とはドイツは違って、冷静に考え、どうしたら勝てるか、
いや、敗けないかを模索した。
出た結論は”不沈艦の実現”、だから独・艦は武装を抑えても装甲を増やし、ダメージ・コントロール装置を充実させた。
そして軍艦を正しく機能させる為に乗組員の訓練を徹底して行った。
その結果、ダメージ・コントロール能力は高まり、防御力は増したが、それだけでは無く、射撃精度も大幅に向上し、
海戦での砲弾・命中率は信じられない位にに上がった。
また、砲弾を跳ばす装薬も大概の国では薬袋と言って発射薬を布の袋に詰めた物を使っていた。
だが、ドイツの戦艦の砲の発射薬は金属の筒で薬袋を包み、引火し難くしていた。
こうした努力が『ユトランド沖海戦』の”戦術的勝利”を生んだのだ。
対する英国は巡洋戦艦の脆弱さを補う物として高速戦艦、『クイーン・エリザベス』級を建造した。
速度は巡洋戦艦並みを維持すると言う理想的な物だった。
これを5隻も揃えた英国の国力は大変な物だったと言える。
(この内、理由は不明だが、クイーン・エリザベスはユトランド沖海戦には参加していない。)
英国はハードウェアに力を注ぎ、ドイツはソフトウエアを充実させた訳だ。
もちろん、これはラインハルト・シェア中将、一人の力ではなく、長年、対英国戦略を研究して来た結果なのだが、
シェア提督はその意味を正しく理解し、自ら実践、戦術的勝利をあの大英帝国から捥ぎ取ったのだ、やはり傑物の一人と
言えるだろう。
(注1)戦艦と巡洋戦艦の違い。
通常はある程度の距離をおいて自艦と同等の砲力を持つ敵艦から攻撃されても防御出来る軍艦を『戦艦』と呼ぶ。
(砲は保有軍艦の中でも最大級口径の砲を積んでいた。)
『巡洋戦艦』は『戦艦』と同等の砲力を持つが装甲は装甲巡洋艦並みに薄く、代わりに速度が『戦艦』より約5ノット優速で
英国の海相『フィッシャー提督』は『速力こそ最良の防御』と豪語したがそれが幻想であった事が『ユトランド沖海戦』で
実証された。
ドイツの巡戦は初期の弩級戦艦並みに装甲が厚く、細かく分割された水密区画と注排水装置、それを使いこなせる
良く訓練された乗員を擁していたので独・巡戦の防御力は英・巡戦のそれとは比べものにならない位、高かった。
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「シェーア提督は『運命の人』と言う訳だ。
約300年前の祖先と同じ様に圧倒的に優位な敵と戦うのだから・・・な。」土方は新しい国連宇宙海軍総司令を頼もしく
思った。
「彼には『ユトランド沖海戦の立役者、”ラインハルト・シェア中将”の血が流れているんだな。
少しは希望が持てる様な気がして来たぞ。」土方は嬉しそうに盃を飲み乾した。
「残念ながら、シェア中将とシェーア提督とは血の繋がりは無いそうだ。」沖田が悪戯っぽく微笑んだ。
「兵の士気を高めるための『宝』だそうだ。 レプリカだよ。」沖田は今度は真顔になって言った。
「しかし、これは絶対の”秘密”だぞ。」沖田は土方に念を押した。
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