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宇宙戦艦ヤマト前史

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宇宙戦艦ヤマト登場前の地球防衛軍の苦闘を描きます。

145.夢幻の 宇宙戦艦・・・『扶桑』 (フソウ) ー (10)

 木星は”太陽に成り損なったガス惑星” と呼ばれるだけあってその直径は14万3000kmもある巨人である。

衛星も65個と非常に多い、その内最外殻のパシェフェ衛星群には国連宇宙海軍の監視衛星が紛れ込ませてあったが、
実用化したばかりの陽電子砲搭載艦は更に内側のヒマリア衛星群で『ガミラス』の侵攻艦隊を待ち受けていた。

「敵艦隊の侵攻速度に変化はないか?」秋山は『フソウ』の艦橋・情報士官に尋ねた。

「早期警戒艦からの報告ですと進路、速度とも変化ありません。」彼は即答した。

<よし、まだ時間はあるな・・・。>秋山は戦闘準備完了後の”訓示”で伝え切れなかったこの艦が何故『フソウ』と
命名されたかその理由を告げようと思い再びマイクを取った。 

「国連宇宙海軍特別遊撃隊司令、秋山だ。 諸君の内には本艦の艦名が『フソウ』である事に不満を持っている者も
多いと思う。・・・」秋山はかつて彼の副官が疑問に思った事の回答を全乗組員に伝えておこうと思ったのである。

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 日本(宇宙)海軍に『扶桑』と言う名の艦は今度の艦番No.588で三代目である。

初代『扶桑』は明治海軍が英国へ発注した汽帆・装甲コルベット艦であった。

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この艦は大きさこそ欧州列強の装甲艦が平均排水量1万tあったのに対し約4,000tと半分弱の大きさしかない
ささやかな艦であったが、『清』が『定遠』級の装甲艦を装備するまで東洋随一の装甲艦として睨みを利かし、
国威の発揚に絶大なる力を発揮した。

また、汽走一本に絞った近代化改装をした後は日清・日露の両大戦にも参加し、旧式艦ながら奮戦、
勝利に貢献している。

時代は下がり、日露戦争後、英国は日本海海戦の戦訓を大幅に取り入れた戦艦『ドレッドノート』を建造し、世界中の
海軍の戦艦を(自国艦も含め)一気に旧式にしてしまった。(ドレッドノート・ショック)
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日本も英国に発注していた戦艦『香取』、『鹿島』が就役と同時に旧式化して大慌て、更には建造中の初の純国産戦艦
『薩摩』級二隻も完成前から旧式艦になってしまった。
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そこで泥縄式に純国産弩級戦艦「河内」級を二隻建造するも各国の弩級戦艦に比べると片舷斉射時、全砲門を
効果的に指揮統率出来ないなど性能的に見劣りがする艦しか造れなかった。
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仕方が無いので再び英国から技術導入する事を目論み、超弩級巡洋戦艦『金剛』を発注したのだ。(記事No.144参照)

この時、建造元の英・ヴィッカース社からは『金剛』の図面提供は元より、建造中の造船所に研修員を多数派遣し、
技術導入の徹底を図った。

そして『金剛』の同型艦、『比叡』は海軍横須賀工廠、『『榛名』、『霧島』の各艦は民間の造船所で建造するという

日本船界自体の飛躍的造船技術レベル・アップを図る施策であった。

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 だが、世界最大最強の砲力(45口径35.6cm砲×8)を備え、世界最速を誇った『金剛』級であったが、所詮は防護力の
低い巡洋戦艦でしか無かった。

当然、海軍としていや、大日本帝国として『金剛』により学んだ最新の造船技術を生かした真の意味での超弩級戦艦を
保有する必要があった。

そして生まれたのが戦艦史上初めて排水量三万トンを超え、世界最強の35.6cm(45口径)砲を12門も搭載し、
速度も22ノット毎時と高速を発揮する世界最大最強の戦艦『扶桑』である。
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(同型艦は『山城』のみ、『伊勢』、『日向』は問題点改修の目的で改設計され『伊勢』級となった。)

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 日本の軍艦には命名法に慣習がある。

一等巡洋艦(装甲巡洋艦)には「山」名を。(「榛名」、「比叡」など)

二等巡洋艦(軽巡洋艦)には「河川」名を。(「利根」、「筑摩」など)

そして戦艦には「旧国名」をあてる事になっている。(「山城(京都)」、「武蔵(関東)」など)

しかし、『扶桑』と言う名の旧国名はどこにも存在しない、では『扶桑』とは一体、どの地方の事を指す名称なので
あろうか?

実は『扶桑』とは『日本国』の別称なのである。

だから『扶桑』と言う名は特別な艦にしか付けられない。

初代『扶桑』は明治海軍が初めて保有出来た、当時、東洋随一の装甲艦だった。

二代『扶桑』は『金剛』で導入した新技術を日本なりに消化した結果、建造出来た当時、世界最大最強最速の戦艦で
あった。

だから『扶桑』は時代を先取りした有力な性能を持ち、国民の期待が大きく掛った艦だけに用いられる
”特別な” 艦名なのである。

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「本艦は過去の『三景艦』の様な巨砲を艦首に三門、固定装備すると言う変則的な設計で建造された。

『ガミラス』が使用している『陽電子ビーム砲』を上回る性能を出すためには砲の大型化が避けられなかったからだ。」
秋山は事実を告げた。

虚言を吐いて士気を高揚してもそれは一時の事で事実が知れ渡った時、落ちる士気の大きさを彼は知っていた。

「だから、この艦も他の『陽電子衝撃砲』搭載艦も全て艦首に固定装備するしか無かった。

そして、私は諸君「コンゴウ」、「ハルナ」、「キリシマ」を使ってにかなり無理な訓練をさせて来た。

この訓練は艦首固定の『陽電子衝撃砲』を有効活用するための訓練だった事を今、明らかにしたい。
あの”訓練”を成し遂げた諸君は必ずや戦果を挙げられると私が保障する。」秋山宙将は『フソウ』乗組員に
勝利を断言した。

ワシントン条約を生き残った日本帝国海軍の戦艦の内、最旧式の『金剛』級は元々、砲の搭載数が少なかったので
主砲の斉射時の爆風は大きな問題に成らなかったが、『扶桑』級は艦全体に連装砲塔をばら撒いた様な配置であり、
主砲斉射時の爆風は上部構造物に被害を与えるため、一斉射撃の変法である『交互打ち方』を主要せざるを
得なかった。

『交互打ち方』とは連装砲塔に装備されている二基の砲を交互に発射する方法であり、一回の射撃時の弾量は
『一斉射撃』の半分の弾量になってしまい、当時は公算射撃で照準を行っていたから『扶桑』、『山城』の
射撃命中率は大きく下がった。

しかし、元々、十隻しかない戦艦の内、二隻も戦力に成らないのは海軍として許容出来る事では無かった。

公算射撃の最低必要弾数は六発であったので、『扶桑』、『山城』の『交互打ち方』でも公算射撃の必要最小限度の
弾数は満たしていた。

だから海軍は『扶桑』、『山城』の乗組員に猛訓練を課して『交互打ち方』でも一斉射撃に劣らない命中率を得るまでに
乗組員の錬度を上げ、対米戦に臨んだ、そして当時の日本艦隊は米国戦艦隊の砲弾・散布界の1/3に狭まっていた
事が報告され、これが開戦に消極的だった海軍をして対米戦を決意させた一因であった事が伝えられている。

*「砲弾・散布界」:全砲門を発射した時その弾が落ちる範囲の事。この範囲を小さく出来れば命中率はあがる。

*「公算・射撃」:全力射撃の前に試射を行う、全砲門の半数の砲を用いて目標よりやや遠方に弾群を落とす、
          着弾時の水柱(一分以上立っている)を測距し、距離の補正を行なう。(第一射目)
          第一射目の距離データを元に今度は半数の砲で目標よりやや手前に弾群を落とす、
          再び着弾時の水柱を測距し、距離の補正が正しかった事を確認する。(第二射目)
          そして確定した距離で全砲門を開き散布界の内にどんどん砲弾を送り込めば(夾叉すると言う、)
          次々と命中弾を得、敵艦は轟沈する。(散布界が大きいとこの時の命中率が大きく下がる。)

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「練達した諸君の技量が名誉ある艦名を汚さぬものである事は諸君自身が一番良く知っているはずだ。」秋山は凛とした
口調で訓示を終えた。

その時である、通信士から報告があった。

「照準・管制艦『ヨシノ』から入電! 『ガミラス』艦隊が最外殻防衛ラインに達しました。」

「よし!全艦、戦闘態勢で突撃! まず敵艦隊正面から攻撃、次に反航戦を挑む!」秋山司令の命令は常識に
反するものだった。

通常、反航戦は交戦時間が短く、一瞬で終わってしまうので、敵艦への攻撃を成功させることが難しいからだ。

たが、あの猛訓練を潜り抜けて来た兵達には秋山の”意”は一瞬で理解された。


 
                       


                                 146.夢幻の 宇宙戦艦・・・『扶桑』 (フソウ) ー (11)→ この項続く


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by YAMATOSS992 | 2014-07-26 21:00 | ヤマト2199 挿話 | Comments(0)